ちいさなしあわせさがし

日々のちいさなしあわせさがし♡そんな心をはぐくむために

南三陸・夏の日 2011

2011年の夏、わたしは初めて会った40代の女性と二人で南三陸の海を見つめていた。
 
「私、今、南三陸にいるんです。これから会うことはできませんか?」突然の電話。
なぜ私が、南三陸にいることを知っているんだろうと思ったものの、「カウンセリングをご希望ですか?」といつものように自然と言葉が先にたち、30分後、宿泊していたホテルの近くで待ち合わせをすることに。海辺のコンクリートのあるところと言われて、探しながら道を歩く。
 
午前中にも関わらず、燦々と照らす太陽が眩しくて暑い。
ゆっくりと下っていくアスファルトの道をひたすら歩き、カーブを過ぎたところで、
さっきまで下の方にあった海が手の届くところまで近い場所にきていることに気付いた。
 
その少し先のところに、夏には似つかわしくない黒っぽい服を着た女性が立っていた。
「まきこさんですか?」声をかけると、彼女はこくりとうなづいた。
「はじめまして。志村です。お電話いただきありがとうございました。」とご挨拶。
彼女の唇がやわらかく動いた瞬間、やわらかさとはかけ離れた声が響いた。
「海が憎くて憎くて仕方ないんです。一人生き残った自分が憎くて、許せない・・・」声が詰まって、
その先の言葉が宙を舞った。
「うん・・・。まきこさんは、それを伝えたくて私を呼んだの?」
「いえ、一緒に海を見て欲しかったんです。」
「いいよ。一緒に見ようか。」彼女と肩を並べて、少し高台の方へと歩いていった。
たどり着いたところは、仮設葬儀場の跡地だった。
 
くるりと背を向けて、彼女は言った。
「私だけ助かってしまって。主人も息子も、どこに行ったんでしょう。死んでしまえばよかった。私があの子の手を離さなければ、助かったんじゃないかって。息子は私を恨んでいるかもしれない。一人で怖くて、苦しんで死んでいったのかと思うと・・・。手を離さずにずっと一緒に、そのまま一緒に死ねばよかった。」一筋の涙も流さずに、彼女は厳しい顔で自分を呪うかのような声で言葉を続けた。
 
彼女の話を、時折、相槌をうちながらずっと聴き続け、小一時間経っただろうか、彼女は、ふと我にかえったように「ごめんなさい・・・」と、つぶやいた。
たぶん、自分ばかり話をしてごめんなさいということだろう。
 
「ううん。ありがとう。話をしてくれて。」そう答え、私は彼女に聞いてみた。
「ご主人と息子さんはどんな方だったの?」
「主人はしっかり者で優しくておだやかで、息子は甘えん坊だけど、私のことをすごく気遣ってくれる優しい子でした。」
「そうなんだ。素敵なご主人とお子さんですね。ねえ、まきこさん。もしも、まきこさんが先立って、ご主人と息子さんが生き残ってたとして、二人が今のまきこさんのようだったら、まきこさんはなんて思ってるかな?彼らになんて伝えたい?」
「え?!」と、一瞬驚いたような声を出し、ちょっと考え込んだ末、「私なら、夫や息子に、大丈夫だよ!私はずっと傍にいる。見守ってるって言うかな。」
「そうだよね。でも、相手は気付いてくれない。どうしよう?」
彼女は難しい顔をしたあと、「抱きしめる。ああ、でも抱きしめてもわかってもらえない。どうしたらいいんだろう?でも、抱きしめて、大丈夫だよ。ずっとずっと愛してるよ。守ってるから、笑って、幸せになってって伝えたい。」
最後の言葉はその口からははっきりと聞こえてきませんでした。
まきこさんの目からは涙が溢れ、いつしか声をあげて泣き初めていました。
彼女の背中をトントンとさすりながら、肩をゆっくりと抱きしめると、彼女は私にぎゅっとつかまり号泣し続けました。たぶん、今まで泣くことすら出来ず、心を閉ざし続けてきたのでしょう。
 
そのまま数分の時が流れ、大きく息をついたまきこさんは、私のもとから少し離れ、
「そうでした。主人も息子も、同じように私を思って、傍にいてくれているんですね。私が気付いていないだけで。でも、寂しい。夫も息子もいないこの世界は寂しすぎて・・・」
 
「うん。そうだね。私も大事な人との別れをいっぱいしてきているので、まきこさんの気持ちなんとなくわかる。その寂しさは、時間を待たないと解決していかないものなんだよね。
私なんて、亡くなった父に無性に会いたくなって、未だに時々泣いてしまう時があるの。
父は私が19歳の時に亡くなっているから、もう26年も経つんだけどね。でもね、泣いた後にいつも感じるんだ。姿形こそなくても、心はずっと傍にいて、見守っていてくれてる。 それにね、この世の中での人生が終わった時に、絶対に迎えに来てくれるって信じてるの。その時に、恥ずかしい自分で会いたくないから、せめて、今生きてることに感謝できる自分でいようと思ってるんだ。」
まきこさんは、私の話に真剣に耳を傾けてくれていました。
 
お別れの時、「ゆりさん。主人と私は織田哲郎さんのファンだったんです。織田さんがこちらにボランティアに来ると聞いて、そして、大谷さんとゆりさんが支援活動を行っているということを陰ながら知っていたので、昨日、ここまでやってきました。私は、今はここを離れて、東京で暮らしています。もう一度、主人と生きた人生に感謝したいです。そう、主人は海が大好きで、TUBEの曲をずっと聴いていて、そこから織田さんのファンになった人なんです。彼が好きだった海を憎んでしまったら、彼は悲しいですね。」
丁寧にゆっくりと話をしてくれるまきこさんの頬には、ほんのりと赤みがさし、やわらかな表情に変わっていました。
彼女の心をとかしたもの、それは、ご主人と息子さんとの互いの愛にほかなりませんでした。
 
どれだけの痛みと、どれだけの愛を見せていただいてきたでしょうか。
この世の中にたくさん生まれてしまった数々の痛みが、愛の光にとけてなくなるまで、
私にできることを続けていこう・・・海に眠る優しき魂たちに誓った夏の日。