人生の美しい時
人生の美しい時
それは 若い時とは限らない
生きることも
死ぬことも
すべてが ひとつの流れの中にあり
すべての存在が等しく 尊く在ることを
自らが 心底知り得た時にこそ
その美しさが 花開く瞬間なのかもしれない
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義母93歳
今年の2月に間質性肺炎の急性増悪で緊急入院した。
あれから9ヶ月。
意識も知識もしっかりしている義母は、どうやら即身成仏を目指しているよう。
ここ三週間程、食事を摂らなくなったというのだ。
前々から、病院のごはんが美味しくないとこぼしていた。
たしかに、あまり愛情を感じられない食事である。
けれど、それだけでなく、薬を飲み続けていることによって、味覚障害も起きているのだろう。
食べたくないものを無理やり食べさせるのも可哀想だけれど、
食べなければ、終いになるわけなので、病院側は躍起になって食事をさせようとしていた。
それもなんかなぁ…と、思っていたのだけれど、とうとう義母は、自分の意思で食事を摂らないことを選んだようなのだ。
水分もあまり摂らず、今は点滴をしている。
きっとほんとは、点滴すらしたくないに違いない。
数日前、山形から茨城まで、日帰りでお見舞いに行ってきた。
コンサートの合間だったので、日帰りしかできなかった。
お見舞いに行くのは三週間ぶりだっただけど、驚くくらいに痩せ細っていて、これはもう長くないと、私も覚悟した。
そんな状態にも関わらず、義母はあまりにもしっかりしていて、その精神力の強さには、目を見張るばかりだった。
すごい…凄すぎる。
息子を連れてお見舞いに来るから、それまで頑張って…と伝えたら、
お母さんは、その夜の食事をほんの少し口にしてくれた。
昨日今日と、コンサートがあり、動けない私たちの代わりに、病院に通ってくれた友の話では、私たちの息子が来る日をスケジュール帳で確認し、あと何日とマーキングまでしていたそう。
もう、寝たきりで動けないし、呼吸も浅く苦しそうなのに…。
今日は、
新しい雑誌に目を通し、
郵便物に目を通し、
要るもの、要らないものを整理して、片付けをしたらしい。
一体、この精神力はどこから来るものなのだろう。
ふと、思い返す…
生きることも
死ぬことも
すべてが一つの流れの中にある
それを知識としてでなく
深く悟った時に
人は自ずと 要らぬものをすべて手放し
美しく輝き出すのだ…と
語ってくれた ある方の言葉を
そう在りたいと
強く願い
そのように生きたいと
自らの道を歩んできた
その私の目の前に
その道を実践として 生死を超えたところで今を生きる
義母の存在が与えられたのだね
感謝