ちいさなしあわせさがし

日々のちいさなしあわせさがし♡そんな心をはぐくむために

石巻の美浦旅館にて・・・

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昨日、野蒜小学校の支援センター開所式&慰霊祭に出席した後、
石巻にある美浦屋旅館さんに伺いました。
(野蒜小学校の報告は http://blogs.yahoo.co.jp/tetsnory )
 
美浦屋旅館さんは、ご自身の力で旅館を再生しようと頑張っていらっしゃるのですが、
行ってみればわかりますが、こちらの旅館の当然のことながら1階はすべて津波で流され、
骨組みだけしか残っていないのです。
 
あたり一面の建物はすべて流されていたり、壊れてしまっているので、
この地域に今お住まいなのは、この美浦さんご夫婦だけではないでしょうか・・・。
 
まだ、水道も電気もガスも復旧していません。
そんな地域で、自らの思いと力で復興・再生をしようと頑張っています。
 
そんな美浦屋さんのことを聞きつけたボランティア支援団体が、
この美浦屋さんに集まってきます。
チーム王冠さん、山形ボランティア隊・・・この二つの団体さんというより
個人個人の方々とは、とても深いお付き合いをさせていただき、
お互いの協働により、良い関係で支援活動の展開をさせてもらっています。
 
 
この写真の右側の若い男性が、山ボラ隊の創設者の本田光太郎さん。
まだ20代ですよ!!それなのに、本当にしっかりしていて篤い志を持っているの
 
隣の方が、美浦屋旅館の大黒柱。
ギターを弾いて即興の日本語の詩で「stand by me」を唄ってくれ後の写真です
 
 
まだみんながいない時に、美浦さんと二人で話をすることがありました。
美浦さんは、「今回の津波は大変だけどね、でもね、もっと辛いことがあったから、これはそんなに辛いことじゃない!!俺にはね、もっと辛い過去があったんだよ。」ということで、過去のお話を伺いました。
 
その辛い過去の経験と同じような体験を私もしていたので、お互いに共感し合うことがあって、
昔の痛みを超えた今の自分だからこそ、どうとでもなるよね~!!と
笑い合って痛み分けをすることができたように思います。
 
苦しかったけど、あの時代があったから、今起きてることを乗り越えられる。
あの頃に比べれば、今の方が辛くない!!って、美浦さんは本気でおっしゃっていました。
 
私は津波は体験していないけれど、その痛かった過去の出来事がよくわかるので、
美浦さんのおっしゃることがよくわかりました。
 
 
やっぱり、辛いことや苦しいことを体験しなければ、人は成長しないんだと思います。
 
美浦さんは現在55歳。
私には母の違う兄がいるのですが、(兄はすでに60歳になるはず)
なんとなく兄に似ている美浦さんに、親近感を感じ、嬉しくなりました。
 
親近感と言えば、不思議なことなのですが、
東松島の仮設支援で知り合い、野蒜小学校の慰霊祭でご祈祷をしてくださった
天台宗の石川仁徳住職が、風貌から話す内容から、どことなしか伯父に似ていたり、
昨日初めてお目にかかった山ボラ隊に参加している安部さんという方が、
最初の旦那のお母さんの若い頃に似ていたり、(お母さんとは、今でも仲良しです)
山ボラ隊に参加していたはずがいつしかチーム王冠の名刺をつけている吉川さんは従妹に似ていたりと、
すごく懐かしい人たちに会っているような面白い出会いばかりが続いています。
 
 
これもご縁なのでしょうね・・・
 
 
そうそう。この美浦屋旅館さんに保護されて、かわいがられているわんこの菊千代丸は、
以前、うちの代表が仮設で出会ったケリー君にそっくりだったりします。
 
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なんなのでしょ~ね・・・きっと、これから新たなドラマが始まるのかもしれません
しあわせなストーリーを描けるように、まずは自分の心が和になってあるように
 
 
今日もお立ち寄りありがとうございました。