ちいさなしあわせさがし

日々のちいさなしあわせさがし♡そんな心をはぐくむために

決意を新たに・・・

201125日のブログに記載した「ラスト・メッセンジャー
長きに渡り、さまざまな活動をしてきた中で、
ひとつ辿り着いた思いをその日のブログに書き記した憶えがあります。
何度か触れていますが、この世的な言葉でいうなら、
私は霊能者でありシャーマンです。
誤解を招くことがイヤだったこともあり(私の周囲の人々、特にこどもへの影響)
何回か取材やマスコミへの出演依頼などもありましたが、
すべてお断りしてきました。
けれど今年に入り、なにかわけのわからない疼きが心の中に生まれ、
ある決意をしたのです。
 
それが「ラスト・メッセンジャー」として活動し,普及していくことでした
 この活動を行っていく宣言をしたことで、東京に於いて何か手伝いたいと言って    くれた方々がいます。
その中の一人に、私のクライアントさんで、今年に入り乳がんの手術をし、両胸を  全摘した女性がいます。手術をしたものの悪性度が高く、
転移の可能性の極めて高い状態にあります。
 4月からは毎日放射線治療を行い、その後、抗がん剤治療を続けていきます。
 
もともとは、数年前に、別の理由でカウンセリングにいらした方です。
昨年、夏頃に東京へ帰った際、久しぶりにお目にかかる機会に恵まれ、
話をしていた時のこと、彼女の胸の辺りがとても気になり、
病院へ行くことを勧めたのです。それから1週間後位に病院へ行き、
乳がんであることが判明しました。
 
旦那さんとの関係に行き詰まり、苦しみを抱えて生きる中の発病。
息子さんは中3。ちょうど受験と重なりました。
 
彼女の発病を知り、私は何度か東京へ足を運びました。
彼女のためだけに行くと言うと、気を遣わせることになるので、
他に用事があるんだよと伝えて・・・。
もちろん行くことになれば他に用事は入りますしね。
 
 
普段やりとりをしているメールでは、
手術の成功を祈りながらがんばっています!というような
気丈に振る舞っている様子が書かれていましたが、
ひと目見た瞬間、壮絶な苦しみを抱えていることが伺えました。
 
「先生、きっとまたちゃんと食べてないんでしょ?ランチしよう!」と
明るく誘ってくれたのは彼女の方でした。東京に行く機会が減っているので、
帰京するという情報が流れると、カウンセリングを受けたいという方が
次々に入り、たしかに東京に帰ると、ごはんを食べる暇もなく、
あっちこっちに移動しながら、人に会うことになります。
 
それを知っている彼女は、自分の体のことよりも、私のことをいつも心配してくれ
るのです。とても優しく温かな人。
人がたくさんいるお店でランチをしながら、明るく話をするTさん。
私と話をしていくうちに、気丈に振る舞っていた鎧が外れ、少しずつ表情が曇り   始めました。たくさんの不安を胸に抱き、頑張って頑張って耐えてきたのでしょう。
 
お店の中であることもいとわず、彼女は大粒の涙を流しながら、
「先生、わたし大丈夫だよね?死なないよね?」と・・・。
彼女の顔はすでに何度も行ってきている抗がん剤の影響で黒ずんで痩せこけ、   髪の抜け落ちた頭にはウィッグ、そして、手は一気に齢を重ねたような痛々しさが
滲みでています。
「死なないよ」とは、わたしには言えませんでした。
彼女の状態がどれほどなのかわかっていたからです。安易に今の不安を取り除  くことよりも、現実を見つめ、今を生きることを大事にする思いを築いていくこと  の大切さを思いました。
 
「手術、成功するといいね。祈っているね。だけどね、もしこの病気に打ち克った  としても、人はかならず死を迎えるよ。
生まれてきた瞬間から、私たちは死に向かって 生きていくんだもの。それにね、  死は終わりじゃないんだよ。私たちの魂は、地球から生まれたんじゃないんだ。  地球にはね、留学させてもらいに来てるようなものだよ。
魂が肉体という箱に入って、こちらの星で学びを修めるためにやってくるんだよ。
そして、地球に住まわせてもらって、与えてもらっているからこそ、私たちは恩   返しをするために、それぞれの役割を果たすんだよ。自分の魂の願いを,
役割を顕わしていくために、生きていくんだよ。それが天職。天職はこの世の中 
の肩書きとは違う。自分がどうありたいかそれだけなんだ。
そんな自分がこの世の中にどう貢献できるかということだけだよ。
それは、この命が終わる瞬間まで続くの。
そしてそれは、病気があっても出来ること。
病気になっちゃったらお母さんという ひとつのお役目がなくなっちゃうわけじゃ  
な いように・・・。
ごはんを作れなくても、お掃除やお洗濯ができなくても、寝たきりでも、お母さん   はお母さんだよね。息子さんは、何かをやってくれるお母さんが好きなんじゃなく  て、Tさんそのものの存在を愛しているでしょ? 
じゃあ、Tさんはこの病気になった自分で何をあらわしていきたい?
お母さんとしてなにをしてあげたい?」
 
「笑って生きたい。笑っていたい。
それがみんなの元気の源になったらいい。」
Tさんは泣き笑いをしながら、そう答えました。
 
 
彼女とのエピソードは、今もまだ続いています。
ふさいでしまう日もあれば、明るく元気な日もあります。
私の病気を知った彼女は、私を支えたいと言ってくれ、
そして私の活動を手伝いたいとまで言ってくれました。
 
 
今回の大震災が起こり、大勢の人がこの世を去りました。
なぜ今年の初め、まるでふって湧いたかのように
「ラスト・メッセンジャー」として立つと決めたのか、
正直自分でもわかっていないのですが、
どなたかが何かを私のもとへ、そっと届けてくれたのかもしれません。
 
 
今 小鳥のさえずりが 外から聞こえてきます
この辺りでは 久しぶりの小鳥の声
とても美しいさえずりは わたしは いま ここにいますよ・・・と
伝えているかのようです。。。