ちいさなしあわせさがし

日々のちいさなしあわせさがし♡そんな心をはぐくむために

非日常の中の日常

すべてが崩れ去り 壊れ去った ちいさな海辺の町
牡鹿半島 給分浜と泊浜というところにある 小さな避難所
 
誰からも忘れ去られてしまったような孤立した集落
その場所にまで辿り着くのに、出発してから6時間はかかった
 
自衛隊の方がきっとがんばってくださったのだろう
どうにか道らしき道が作られているものの
途中途中、どちらに走ればいいのかわからない場所にも遭遇 
一面瓦礫だらけの広い砂浜
もともとは砂浜なんかじゃないだろう
 
 
たまたま近くにいた男性に道を尋ね
道なき砂浜を走ると、少しずつ道路らしきものが見え始めた
山道を上がっていくと、下の方に、さっき通ってきた砂浜が見える 
すべてが波にのまれたひとつの集落
 
消防団の赤い車が頭を砂浜に突っ込むような形で横倒しになっている
いたる所の木々に洋服の花が咲いているかのよう
 
どこが境目となって 運命が分けられたのだろう
 
姿形の存在していない人たちのたくさんの気を受けながら、思考が流れる
祈り続けて ずっと祈り続けて 辿り着いた避難所
 
給分浜の避難所は、仙台市内のレストラン「アルフィオーレ」の
オーナーさんのご厚意で、カレーの炊き出しが行われた後だった。
毎日、精力的に、カレーの炊き出しをあちらこちらで行ってくださっている。
 
不足している野菜を届け、オレンジ、洋服、下着、文房具、ガソリン、灯油・・・
そして靴をいっぱいお届けした。
 
靴を見た瞬間のみなさんの喜んだお顔。
みんな一足の靴を履き続けている。
ほとんどが長靴。作業の時には便利だけれど、
ずっと履き続けているのは、ちょっと面倒だし、むれるはず。
だから、サンダルやスニーカーなどの靴を見た時には、
みんな「うわ~!靴だ!」と思わず声に出たのだろう。
 
 
わたしは個人的に子どもが喜ぶ物を持ってきていた。
大きめでキレイなガラスの瓶いっぱいに詰め込んだ
色とりどり、種類いろいろの飴。
 
その色とりどりのガラス瓶を見たおじさんが、
小さな女の子の名前を呼んだ。
1歳くらいのよちよち歩きの女の子。
わたしの目の前に寄ってきて、
手に持っていた積み木を、わたしにくれた。
 
この瓶の中にあるものが何なのかちゃんとわかったみたいで、
女の子は大きな大きなガラスの瓶を大事そうに抱え込んで、
自分の家(避難所)にそそくさと持って帰った。
 
あまりにもかわいらしいその姿に、
その様子を見ていた大人たちが一斉に笑いだした。
 
たまたまカレーの炊き出しを取材に来ていたカメラマンが
女の子を追いかけて、撮影していた。
 
こんな悲惨な現場でも、命は育まれ、笑いも起きる。
こどもはやはりどこにあっても、
みんなの宝。国の宝。この星の宝だ。
 
 
そこから、情報を得て、泊浜の避難所へ。
そちらは50名くらいの人が集まるコミュニティー
 
「薪で沸かすお風呂があるから、みんなで薪を作ってるんだ!
ここでは2日に一度、入らない人でも3日に一度は風呂に入れる。」
おじいちゃんが話してくれた。とても明るく元気な顔で。
 
山形から来たと伝えると、
そんな遠くからありがたいことだと
避難所にいる人達に、わざわざ声をかけてくれ
みんなで荷降ろしを手伝ってくれる。
 
ここでも、靴は喜ばれた。ガソリンを渡したら、
男性は声をあげて「こりゃ~ありがたい!!」と満面の笑み。
 
朝、山形の市場で手に入れた、ぴっちぴち新鮮なキャベツと
きらきら光るねぎ、そしてオレンジは、女性陣が声をあげて大喜び。
男性と女性では、見ているところが違う(笑)
 
物資を持った珍客に、大喜びしてくれたみなさんは、
口ぐちにお礼といろんなことを話し始める。
「大変なことだ!」と言いながらも、みんな明るく前向きだ。
 
「気を付けて帰ってな~。暗くなるからよ」と、みんなが声を揃えて心配してくれる。
車が出発しても、まだ、玄関先に立ったまま、わたしたちを見送ってくれていた。
 
 
 
みんなが支え合って、助け合って、出来ることをやりながら、
本当によい形での共同生活をしている。
そんな気がした。この在り方を現代人は学ばなければ・・・。
 
被災地では、すでに日常をはじめている人達がいる。
 
石巻の大きなアーケードは壊滅していたけれど、
それでも、店の前のあまりにも大量の瓦礫をみんなで片づけ掃除をし、
ある程度歩道が歩けるようにまでなっていた。
 
ここでまた、お店をはじめるつもりでいるのだろう・・・そんな様子も見てとれた。
どこからどうやって手をつけたらいいのかわからない状態は、どこも同じ。
お店なんて始められるのだろうか・・・とよぎる思いは大きい。
それでも、今、生きている人は、今を生きなければならない。
ただ、支えてもらい、助けてもらうだけで、生きていくわけにはいかないからだ。
 
それが当たり前になってしまったら、人は依存の罠にはまり、
自分という人生を生きられなくなってしまう。
 
 
自然とともに生きる人々は強い。
牡鹿半島の人々を見て、心から尊敬した。
 
 
非日常の中の日常
日常の中の非日常
 
現実の中の非現実
非現実の中の現実
 
生きている限り、人は、今この瞬間を生きているのだと
ちいさな田舎町の人々から、大きな勇気をもらった。
 
ありがとう。このすべての出逢いに・・・感謝。