ちいさなしあわせさがし

日々のちいさなしあわせさがし♡そんな心をはぐくむために

昨日の出来事~未来へ

停電中に帰宅した物資輸送コンビ
織田哲郎氏と大谷哲範氏
 
ろくな食事も摂らず、長い一日を過ごしてきた彼ら。
牡鹿半島を一周し、女川・石巻と足を運んだ模様。
被災地とひと言で言えど、地域性や被害状況により、
現在の暮らしの様相は、かなり異なる。
避難所の立地や規模、また個人宅に残っている方、
本当に多種多様の避難生活。
 
 
現地の様子は、もちろん私もこの目で見てきた。
織田さんの瞳に映った光景はどんな色をしていただろう。。。
 
何度も足しげく通っている夫(大谷)は、なんら変わるわけはないが、
久しぶりにお目にかかった織田氏も、普段となんら変わりない。
にこやかな笑顔で車を降り登場された。
 
外は真っ暗。顔も見えないようなところで、
「おじゃまします。はじめましてだよね?!」と織田さん
「はは・・・実は、はじめましてじゃないんです」と言ったら
「え?そうなの!?」と驚き声 ・・・ふふふ、そうなんですよ~・・・
 
 
キャンドルの灯りの中で、とても遅い晩ごはんが始まった。
お肉を召しあがらない織田さんのために野菜尽くしのお料理。
もともとわが家は基本的にお肉を食すことが少ないのだけれど・・・
 
とろろと豆腐のグラタンは、オーブンが使えなくなったので、
なんかかなしい和風炒め物にかわってしまったけど
おかひじきの胡麻和えやもずく酢など
夜遅い食事でも体に負担のないものを食卓にいくつも並べた。
 
これはウマイ!と一番喜んでいただいたのは、
夕方、庭で摘んだばかりのふきのとうで作った「ふき味噌」。
旬のものはやっぱりチカラが違うね。
味もおいしかったに違いない(笑)
 
お食事が終わって、お茶を飲みながらのほっこりタイム。
大谷はおなかいっぱいになると、いつもすぐ眠くなる。
でも、車に携帯の手巻き式充電器を取りにいかなくてはならず
(わたしの携帯の充電が切れたのだけど・・・・)
ダ~ラダラ、グ~ダグダした後、立ちあがり、どうにかこうにか外へ出て行った。
 
その隙に?織田さんが、『オレとどこで会ったの?』と
「○○(元夫の名前)知ってますよね。」
『うん。よく知ってるよ!』
「わたしは彼の元妻です。結婚披露パーティーで織田さんや大黒摩季ちゃんや皆さんに演奏してもらいました」
『え~っ!!マジ!!こりゃまた、フシギな縁だね。』
 
そこから話は発展し・・・まだ続くであろう・・・
今朝の会話で織田さんが『このうちはフシギなうちだね~」と感嘆していた!!(笑)
 
 
昔、STAFF ODA というレコード会社で運営していた私設ファンクラブがあった。
現在同居人の緑水スタッフのアロマセラピストとわたしは、
実はそこのスタッフの一員で、とくに彼女の方は頑張っていて、
織田さんには、長い時間取材をさせていただいたこともある。
 
新曲が出た時には、TETSURO ODA の名入りのパーカーを着て有線回りをしたこともあるし、
織田さんの誕生日をお祝いする 『Ts Party』のお手伝いもしていた。
 
 
その当時、わたしは大谷と付き合っていた。
痛みが多く訪れ、いろいろあって別れを宣言したのは私。
この世の中で、一番好きな人の手を自分から放した。
 
そして20年間、わたしたちは別の道を歩んだ。
3年前の織田哲郎オリジナルメンバーでの復活ライヴがきっかけで、
大谷とわたしは再会。
(このライヴが行われる1年位前、世田谷のとあるマクドナルドで、偶然、北島健二氏に出会う。
昔、大谷に紹介されたこともあったので、お声をかけたら気さくに話をしてくださった。
北島さんはとっても優しい~!と、友人たちにメールを送るほど感激した。
ちなみに、緑水スタッフのアロマセラピストは北島健二さんのギタースクールの生徒さんでもあり、
この話をしたら、思いだしてくださったらしい。)
 
 
大谷と別れたあとも、会わなくなったあとも、
『いつかかならずまた会う人』と、わたしはずっと思っていた。
彼もどこかでそれを感じていたらしい。
 
離れていた期間 彼も私も『カウンセラー』と名のつく仕事にも従事していた。
 
20年過ぎて、まさかこんな形で彼と生きることになるとは
再会した当初、思っていなかった。
当時、私は二度目の結婚をしていて、人妻だったし・・・
 
《不思議な縁》 というよりも  《結ばれるべくして導かれた出逢い》
織田さんとの出逢いも同じ。
 
 
そして今。この活動を通し、新たな出逢いを紡ぎ始めている。
 
このブログやツイッターをきっかけに繋がった方々との出逢い。
織田さんを愛してやまないファンの方々との出逢い。
これもまたフシギなご縁。
 
まだ会ったことのない方々からいただく温かなぬくもり。
絆を感じることのできる今がとても好きだ。
 
世の中がこんなに痛みを抱えていたとしても
その痛みに涙していたとしても
人は人との繋がりによって命を吹き返す。
 
 
19歳の時に「フリップサイド」というイベンターでバイトをしていたことがきっかけで、
織田哲郎さんとの縁が紡がれ、大谷との愛に出逢えた。
 
どの道を生きていたとしても、出逢いはあったのかもしれない。
でも、この人生を歩んだからこそ、
今という困難な時代を共に乗り越えられる人達と
出逢うことができたのだと思っている。
 
 
愛すべき人達とともに この苦難の時代を越えていきたい
 
 
心からの感謝とともに・・・祈りをこめて・・・。